ここちLife毎日が愛おしくなるくらし方 vol.31
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明治時代に誕生した福井のめがね︒厳しい挑戦を乗り越え世界に誇る産地に農業が中心だった雪国に新しい産業が生まれた理由福井県は、日本製めがねフレームの約95%を生産する世界的産地。「めがねミュージアム」(福井県・鯖江市)周辺を散策していると、あちらこちらで〝めがねモチーフ〟を見ることができ、産地としての誇りが伝わってきます。福井のめがねづくりが始まったのは明治時代のこと。当時は豪雪と限られた農地のために生活が成り立たず、農民の暮らしゆきは非常に厳しいものでした。そんな状況を変えるため、冬場の収入源として白羽の矢が立ったのがめがねづくり。村の豪農の家に生まれた長男の増永五左衛門に、次男の幸八が相談を持ちかけたのがきっかけでした。めがねの存在はまだ広く知られてない時代。農民には特に馴染みのないものでしたが、幸八の熱心な働きかけや、教育の普及とともに需要は必ず増えるだろうという五左衛門の判断のもと、村の人の生活を救いたい一心で、この提案を受け入れることにしたのです。村の大工を大阪に派遣してめがねづくりのノウハウを学び、東京の名工を福井へ招くなど、安定した品質のめがねを作るための試行錯誤の日々が続きましたが、当時ではまだ珍しかった〝帳場制〟を取り入れたところ、飛躍的に技術が発展。やがて、全国の博覧会で高く評価されるまでになりました。福井のめがねづくりは、「金属加工」「溶接」「磨き」など、200以上もあるといわれる工程を経て完成しますが、それらを支えているのは、今でも福井市、鯖江市に構える大小の工房。〝世界に誇るめがね産地〟としての威厳を保ち続けています。vol. 31131871(明治4)年、現在の福井市生野町の豪農に生まれた増永五左衛門。村人の暮らしを常に思いやる性格で、みんなに頼られる存在だった。鯖江市内には、めがねモチーフがいっぱい。観光に訪れたら、“めがね”探しするのも楽しい。少しずつ職人が育ち、「増永一期生」が結成されたのが1905(明治38)年。のちに、この「増永一期生」を親方(責任者)に据えた職人グループを結成。グループごとに弟子を抱え、仕事を引き受ける「帳場制」により全体の技術が飛躍的に伸びた。内国共産品博覧会に出品しためがねが「有功一等賞金杯」を受賞し、全国に「福井のめがね」が知られることとなった。1933年には昭和天皇への献上品を制作し、白装束を着て臨んだそう(写真のめがねは、昭和天皇への献上品の複製品)。ここちL i f e     

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